箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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可申請書を提出した。大正十三年より実業補習学校内通年部によって、箕輪五か村の生徒に、郷土の実情に即した実践鍛錬の教育、としてきたが「現今世運ノ急激ナル進展ニツレ更-二層郷土ノ実情-一即スル皇国青年ノ錬成教育ノ必要」なために名称を「箕輪郷青年学校」とし中箕輪国民学校に併置し、四月一日開校を目途にして、学則、経費、学級編成予定、校地図、組合規約及議決書写、飲料水分析表を添えて組合立青年学校認可申請した町村が県下で一六校あり、上伊都では伊那宮、朝日、川島の伊那富青年学校と二校で、県の指示により箕輪郷とせず「中箕輪村外二ケ村学校組合立中箕輪車同年学校」として、三月一一一一日認可された。校長、教諭、助教諭、指導員の職員の異動と備ロ聞は、旧東箕輪、箕輪各青年学校より、旧中箕輪青年学校に移動した。備品では、校具、教練用具、農具、図書、掛図、裁縫用具、一書類などについて、各村の国民学校、軍人会と連絡をとる申し合わせをしている。開校祝賀式は五月十三日におこなった。県郡関係教育会長、日蚕青年学校長、派出所長、登記所長、軍人分会長、青年団長、日婦支部長、壮年団長、警防団長、校医宛に通知を出した。開校当時の学級編成は次のとおりである。「中箕輪村外二ケ村学校組合」の条例、規約、規則により、組合会の各村の議員数、席次も明確にして協議を進めた。総則第十三条により費用は次の割で関係村に分けた。十分ノ三戸数割十分ノニ生徒数割十分の五平均割三か村の分賦金は次の通りである。


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