箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 946

授業料一、国民学校一、青年学校一之高等女学校計本年度一三五七九九三六三六六一ニ前年度一三六八一四三O一二三九二高等科児童三七七人青年学校生徒九人O高等女学校生徒三二人一ヶ月三銭O一ヶ月一ヶ月一円二円五銭O一年分十一ヶ月一年分このように授業料徴収を町村はおこなっているが、十八年三月の県報には、「青年学校振興運動ニ関スル件」の中で、「決戦下青年学校ノ振興ヲ図り、戦力増強-一逼進セシムル」ため生徒の就学、出席、生産増強、演練(演習・行軍・武道・競技・軍事講話)をする指示がある。競技の中には、体力章検定があり、村長を検定会長とし基礎体力章などを与えた。中箕輪では、上級一名、中級七名、初級二四名の実数を報告している。また、県報通達によると、大規模に取りあげられたのに青年特別訓練があり。これは、青年学校の未就学者を対象におこなわれたものである。昭和一八年に上伊都は赤穂青年学校に集合し、十一月十六日より二十三日まで七泊八日、十一月二十九日より十二月三日まで四泊五日の宿泊による軍事教育をおこなった。中箕輪から七名が参加した。昭和十九年は岡谷青年学校に、十一月五日から十四日まで十日間、赤穂青年学校の場合と同じく、食糧、寝具を持参し、訓練服で六名が参加した。青年学校令第十二条により義務就学となったため、就学猶予免除は医師の診断書を添えて、村長に届出て許可を得なければならなかった、病人以外は、公立の青年学校か、私立(事業所)の青年学校へ籍をおくことになり、村長は、その状況を県に報告した。昭和十八年三月の「青年学校振興運動」は「特別訓練」二月「教授及ピ訓練ノ戦時措置」になり、十九年二月には「防空監視員タル青年学校生徒ノ服制」に及んでいる。また、秋季聯合演習を十一月におこなった。南北軍を想OO定して、統監部、部隊長、小隊長、分隊長以下二名の道遇戦を展開、終って閲兵分列をおこなっている。昭和十九年三月二十三日中箕輪村長が代表者となって、知事に、箕輪三か村が、組合立青年学校を設立する認OOO


<< | < | > | >>