箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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訴願状訴願人三名|←郡長へグ四十二年六月二十五日請願書四名|←知事へ四十二年六月二十五日請願書四名|+郡長へ郡長より返戻明治四十二年七月八日請願書木下勧農社惣代八名|←郡長へ返戻明治四十二年七月十二日訴願状三名|←郡長明治四十二年月日陳情書一六名|←明治四十二年月日O陳情書一名右二通は月日記名なく保管となっている。現在ある合併反対の資料は以上のとおりであるが、和解の問題はどうなったかくわしいことはわからない。土地は後年になって青年学校の一之宮農場となる。明治四十二年八月二日の郡長より村長への通達が最終で、同年九月八日には村会の決議を経て、本校分として桜洞、富士山、天神山、富士塚、西分教場分として桧畑、天神社の敷地購入が始まり、被買収者は、承諾書を村長に出している。明治四十二年の移転計画は、第一期、第二期にわけ、第一仮教室から第六仮教室を、明音寺、正全寺、個人の


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