箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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四沢外三区の分村願いと分教場建設計画明治三十二年沢、大出、入乙女、下古田の四区より、分村願いがだされた。理由の主たるものは次のとおりでO弘町ヲ心。戸長がいつも松島人種である-)遠因OOOO。福利の増進がない)中箕輪尋常小学校新築に関する村会議員数の獲得手段と木下区民の固執村役場の火災(明治二十八年)二本校二分教場を確定|大沢学校のみ分教場に格下げ(明治三十年)中箕輪役場経済の素乱|村費の決算報告もできない状態(二十七年)よって「実ニ分村スヘキ時期到来セルモノト謂フベシ」で、一月二十三日四区人民惣代が連名で捺印している。しかしこの四区の分村問題は、立入人二名(内一名は長藤村)によって「融解」した。「和解契約書」に「右各項ヲ是認シ其確実ヲ証スル為メ左一一署名捺印」したのが明治三十三年五月である。右各項とは分教場一ケ所建設。位置は大出区字馬瀬口、とする。建設期聞は一ヶ年。分教場の生徒は四年まで。本校と同じ書籍、器具をおくの五項である。続いて、右惣代七名の名がある。村会議員九名有志惣代六名沢区人民惣代八名大出区人民惣代八名八乙女人民惣代七名下古田区人民惣代五名立入人二名の印があり「本契約ハ明治三三年七月五日交換ス」とあり和解契約書の交換のほかに、÷「契約書」の交換も同じ日におこなっている。門契約書」の内容は


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