箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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なおこの年に、世話役の外に、主管人をおくようになった。理由は、世話役が多くなって、校務の整理が不行届のため、主管人を撰挙し、細大の校務を担任し、校務の振興を目的とした。人撰の方法は投票によった。給与は元資金によるが、一カ月、一円五銭以上三円以下を出勤簿に照らして給するというものであった。Oこのように選出された主管人も同じ年度に廃止となり、執事をおくようになった。この小学校執事は「公選投票規則」により投票された。学校の合併合併分離を進めるなかで、南箕輪村久保校が、戸数五八戸元資金七八五円八六銭を以て、木下校に合併願いを出している。また、沢学校、大出学校も同様、十二月に願いを出している。合併御願書の文中、右両校は、沢、大出、八乙女三耕地在来の元資金による合併である。富田学校も、隣校と合併するについての準備がおこなわれた。南北小河内も「校舎合併願い」を出している。沢、大出、八乙女の合併は、二年後の明治十二年に実現し大沢学校となったが、翌十三年には、「道路普通ノ時節ニハ農事酎-一シテ出席ノ生徒少ク農業セザルノ日ハ烈風雪霜ノタメ道ヲ遮ラレ」という通学上の不便をあげて「学資五分ノ一ヲ相増シ折半シテ両校ノ学資トシ」て再び沢校大出校となった。第二節教育令及び改正教育令改正教育令は教育内容の確立と、学校運営の方向を示唆するに効果が大きかった。教育に関して消極的とも考七


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