箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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等訓導十六円ヨリ二十円迄等訓導二十一円ヨリ二十五円迄二十六円ヨリ三十円迄このように定められたが、給料は概ね月給一円であった。Oまた教員のほかに、授業生をおいた。現在の助手にあたる。これは雇入れの方法をとり、日給を計算して、白米の現物支給や、教員、授業生ともに書物代、旅費など立替払いをしておき学校事務あてに、年度末に請求する方法をとっていた。授業料は当時の「授業料控帳」によれば、金で二朱などと現金で納めていたが、中にはわずかであるが、白米二升、酒二升、手拭一筋などと記帳してある。教員の採用教員の採用には、次のような手続きをした。教員と執事と条約をして、それによって、執事は県知事に採用願を提出した。また富田学校開校の折、教員として採用され、地区住民と融和をはかり、子供の教育に情熱をもって推進し、明治七年に開校した、富田村履忠小学校初代校長であった、内田文皐先生について昭和十三年八月、区民一同がその徳沢を敬慕して頭徳碑を建立している。履忠学校の内田文皐先生四グ


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