箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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層にも定着した人気があり、自動車のカラジオなども多く利用されている。見られたが、近時トランジスターラジオなど普及が目覚ましくラジオのよさがまた認められている。とくに青年とその割合も低いが、昭和三十八年となると九O%を超えている。その後テレビの普及と共にまた低落の傾向が範囲は広い。特に教育テレビ放送による小学校、中学校、高校までの各種講座番組は、授業にとり入れることは当然として、高校生の予習、復習等にも広く利用されている。テレビ受信契約数(箕輪町)ど、近所のものは、このラジオのある家に集って、その放送に耳を傾けたものである。その後交流から電源をとるラジオが発明され、大いに普及に役立ったものである。ラジオの普及率は次のようである。戦前のものは資料がないので、不明だが、戦後二十六年頃はまだ五割前後NHKが東京愛宕山の放送所から試験放送を始めたのが、大正十四年七月であるが、新聞と違う速報性が好まれ、特に六大学野球の早慶戦、甲子園の高校野球の実況放送を中心に、聴取エリアを拡大していった。大正末期から昭和初期にかけてのラジオは、直流の電池式で、例のラッパ形の拡声器がついたもの、箱型の拡声器のついたものなど、当時普及期の初めは高価で農民の手には遠く、甲子園の高校野球の放送が行われる時な普総世及帯率数数〆『、昭四三、四七二九:二%三、八O四和四十一フ年ジ一一一一←一一一「一一一/戸、オ昭和四十ノ、コ一、七二一九一コ、五%四、O四六年、ーノ普及率箕輪町世帯数カラーテレビ受信契約数五三、八%一一一六八、(昭和四十七年九月)第4編交通・運輸・通信ラジオ契約数契約数中箕輪町て五七一箕輪村一一一一一一一東箕輪村四一一ラジオ普及率昭和二十六年中箕輪町一、一九四(四九%〉箕輪村二四三公ハ一%)東箕輪村三四六ハ五六%〉四九〈六九%〉一」一O(昭和二十九年)世帯数普及率二、四一九六回、九四六一七二、O占ハ一一二ムハ占ハ、一一」一、コ一二(五五%〉一)一O昭和二十八年昭和三十年四OOハ八九%)一寸二、六一七四%〉一O(昭和三十八年三、三九一%)OO(


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