箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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これら新聞の取扱庖は次のようである。松島井桁屋新聞庖読売新聞専売庖OO。中日新聞庖木下。中川新閉店。野口屋新聞庖大正年間より昭和二十五年頃までは、箕輪町の新聞販売は松島の三原屋新聞庖(原昌雄)が一括取扱っていたが、その後分離して、以上五庖によって、各種新聞を取扱っている。テレピは昭和三十三年頃箕輪町の食堂などに設置された。このため飲食庖などは大いに客が集まり一つの宣伝の道具にもなった。その後高校野球や相撲などでも、大いにその価値が認められ増加の一途を辿った。箕輪町にあってもテレピの普及率が、昭和三十五年の六四戸三六、四万〉が、昭和三十八年には実に三、OM)五OO戸(九五、六に達しているO僅か三か年聞に実に約六倍に達する増加ぶりである。この傾向も昭和四O%十年代にはいってやや落着いて九を僅か上まわる程度となっている。テレビが一般家庭にぽつぽつ設置された頃は、夕方の子供の時間ともなれば、遠近を問わず小中学生が多数押寄せて、その家庭では多数の子供に見せてやりたいとのことから、家族一人が整理にあたり、席を定めて皆がけんかをしないで見られるように世話をしてやるほほえましい情景が見られた。子供達は画面とにらみあって、一時間の番組にとうすいして、散開していった。また近時テレピは過去の白黒から、カラーテレビ時代に移行し、特に昭和三十九年の東京オリンピッグを機会にカラーテレビ時代が初まった。昭和四十七年に於て次のような数を示し、その傾向はいよいよ顕著である。また一戸二台、三台といった家庭も多くなってきている。テレビの利用はお茶の間での娯楽番組の視聴はもとより、教養文化面のもの、さらに料理等の実用面までそのアレビ


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