箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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り他方法がなかった。昭和二十六年七月川中島自動車、松本電鉄、伊那自動車及び信南交通の四パス会社は連携をとり、長野県南北縦断のバス路線として「みすず急行」が生まれた。この結果、飯田と長野とを結ぶ路線として現在飯田行三回、長野行二回が運行されている。箕輪町より長野市への往復という場合このバスを利用する人も多い。箕輪町のタクシー業者は次のようである。それぞれ松島に所在し、伊那松島駅前、木下駅前に常置し、利用者の便をはかつている。日英タクシーみのわタクシー第三節代表者開業代表者開業大視左源次山崎清一昭和四十年一月車輔数車輔数O九ハマイクロ一ムロ〉人力車は明治初年に東京に人力車製造場ができて、これの普及につとめ、明治七、八年噴には殆ど完全なものとしての車ができ上った。明治六年に各村の馬車、人力車紘一?を調べている。其村々僕碑並馬車人力車駕寵乗馬遊船等取調三月三十一日限可申立旨相達置候所今以不差出不都合之事-一候条早々取調有無共ニ無相違可差出事明治六年五月諸車人力事ん舟・羽も


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