箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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るので、沢上停留所迄の八百位の聞が力くらべの絶好の場所で五、六人で、電車につかまり、餓鬼大将の音頭M僧ども」と、怒られるが、これが唯一の楽しみにして通学したと沢の古老が話してくれた。伊那電開通の計画伊那地方への鉄道敷設の計画は既に明治十七年においてその計画があった。この時は現在の中央西線が上伊那西部をとおるというもので、これについて上伊那地方に於てこの敷設を運動したという。このことについての次の文書はその一端を表すものである。伊那地方へ鉄道布設企図之義-一付左ノ条項予メ取定メ置キリ各町村英負担ヲ区別シ追テ町村連合会ノ評決ニヨリ全郡一致他日違背ナク実行スルコト至当ノ賦課法ヲ設クルモノトス明治十七年五月三十一日第六前数項-一就キ要スル費用及其他取扱ノ方法ハ都テ町村第一乳道潰地ノ一村若クハ一部落ユ関スル共有地ハ地目ノ連合会ノ評決-一ヨルモノトス何タルヲ論セス其共有者ヨリ献納スル事但其他ノ方法ニヨリ施設シ得ヘキ分ハ便宜取扱フモ第一停車場ノ敷地ハ其設置ノ村落ニ於テ献納スル事ノトス第一一前両項各自所有ノ土地-一係ルモノト難モ其義指シ得ラ第七家屋移転ヲ要スルモノハ政府ヨリ別々御手当アルヘキルヘキモノハ直ニ各自ヨリ献納セシムル事-一付前数項-一関セサルモノトス第四前コ一項所有主ノ状況-一ヨリ義拐シ能ハサル分ハ、地券第八乳道敷地ノ献納ハ此際総代人及戸長総代ヨリ其筋へ奉代価ニヨリ郡内一般ノ協議費ヲ以テ之ヲ購売シ献納ス呈シヘキ事ベキ事但最前人夫ノ献納ハ引戻ス事第五一般ノ協議費ヨリ購買スル代金ハ礼道設置ノ去離ニヨ中山道鉄道敷設法の公布になったのが明治十七年五月のことであるが、上下伊那の郡長と人民総代はそれぞれの郡において人夫五万人の献納願書を国(政府)宛に提出して中央線の上、下伊那敷設に極めて積極的であり、活溌な招致運動を起こした。そこで時の工部郷佐々木高行一行は明治十七年六月八日中山道鉄道候補地視察のため美濃路より伊那にはいり諏訪を経て松本にいたり、この招致運動に対し木曾路、伊那路何れに敷設するのがよいかを検討した。によって、スピLトのおちた電車を更にスピLトをおとさせるために、後方で引張り、車掌、が下車して「この小


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