箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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互選によることを定めた。明治三十七年一月福与区では、堤防修繕工事として、石腹付延長工事五十間巾三間と沈床五ケ所の工事をしている。使用石材が不足したので、その採取を福与区有の中之沢共有林地から採石して護岸工事を実施している。その後毎年の水害によって流路は変更となり、本年の水田は、翌年は本流となり、転々と河川敷は変更するため、明治・大正・昭和初期迄に十数回の洪水に見舞われ、護岸堤防の未設置であるため河川敷となる巾員も定ま箕輪橋上の増水状況害を機会に昭和拾年壱月箕輪村は河川管理らず、関係農民の困却を放置できず、昭和七年より九年にわたる大水者である知事宛に次の通り請願書を提出して河川敷巾員方線指定を強く要望し、治水へ力強く一歩を踏みだした。警備組費及び機械は村費臨時費から支出されている。警備組は警察官及び村長が監督をする体制となっている。この頃の水制工法は①土堤・土砂をもって築き、表裏の法面には、筋芝文は張芝をして築堤したり、②石積・河原の石を集石して石積を行なった。@聖牛、(手枠〉大・中・小の三種があり使用材料寸法等は江戸時代と差はなく、当時は藤ふじづる蔓かごむし蔓であんだ蛇かごを用い、竹も使用され、最近では鉄線篭を用い、水制工には有効である。④沈床、柱木を四角形に貫木を通して、石をつめる。⑤コンクリート堤、最近行われる工法である。請願書昭和拾年老月日上伊那郡箕輪村長長野県知事大村清一殿実丸回茂


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