箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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りがあることは避けられず、生活にとって痛切な問題である。その時需要に応じて、簡易で低利の庶民金融機関として、唯一の公益施設であって、質屋の名を用いるは何かくらさを感じる。その施設を町に是非設置してもらいたいとの町民の要望にこたえるため、町では町議会の議決により、社会施設として昭和二十九年三月、公益質屋を設置するべく厚生大臣宛に申請をしている。その理由として、近々に一一一ケ町村が合併すると、県下においても、有数の大町制施行となるが、町内には公民営の質屋はなく、庶民金融は全く関されている状態で県下の三十余町のうち公益質屋の未設置町は始んど数える程にして、当町としても零細金融による唯一つの社会事業であるので、町民の福祉のため実現を希望するとの要旨をもって申請をしている。昭和二十九年十一月に公益質屋設備費の国庫補助が決定し、松島通町日野三馬宅前に設置されることになった。昭和三十年五月、開業するべく建設工事及び専任職員設置も順調に進み、五月二十五日より開業したのである。昭和三十年度の利用状況を見ると、庶民金融としてその使命は十分に果されている。当初の一年間の事業報告は次頁の通りである。昭和三十一年下半期よりいわゆる「神武景気」の旋風が吹きだしたが、当町にはその余波さえ現われず、続く「なベ底景気」と経済事情の好転も三十三年を峠として、公益質屋利用者層にも影響をもたらしたことと、低所得者層に対する諸貸付金制度の充実によって、その利用者数も年毎に減少の一途をたどり、ついに昭和四十一年四月をもって休止となり、十年に渡った庶民金融は終止符をうったのである。この十年間の公益質屋の歩みを見ると次の通りである。公益質屋(十年の歩みより)一施設の設置当町は住民の要望にこたえ、簡易でかつ低利な庶民金融機関である公益質屋の設置を議会で議決し国庫補助をうけて、施設、その他の準備をと与のえ町の中心街松島の現地に設置した。事業の発足


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