箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 743

しか過ぎなかった。その後、明治三十八年三月箕輪町大出に購買組合が創立され、四十一年にはこれが信用購買組合となって農村金融の緒をつけることになる。明治三十八年の大出購買組合の設立趣意書によると、「:::明治二十七、八年戦後地方の金融緩慢となるや庶民一般春修に流れ、人情は軽薄に趨れり。明治三十二、三年に至りて財界の恐慌となり、金融又は事業会社の破産するもの続出し:::」とあり、当時の農村金融の必要さをといている。これより少しあと、下古田信用購買組合が設立され、大正十年に大出組合と合併している。このころの貯金及び貸付金は次のようである。その後経済界の変動等によって、その規模も拡大してそれを終戦時まで五年毎に掲げると次のようである。この間組合の組織も大出信用購買組合から大出信用購売生産組合となり、また大正十三年中箕輪信用購買利用組合として、中箕輪村一円の農村金融を背負うようになった。その後、戦時体制下となって中箕輪村農業会(東箕輪ノアDア15年328,216I38,0831/20年I4,435,614I36,882O万円となって、農民金融の中核的な位置を占めること村では東箕輪村農業会、箕輪村では箕輪村農業会)となり、終戦後の昭和二十三年農業協同組合組繊として発足し、農村経済面の中核としてその信用事業は、農村金融の大きな面を占めることとなった。さらに信用事業の規模も飛躍的に増大して、中箕輪村協同組合取扱い高は、昭和二十五年、貯金において二、六五O万円余、貸付金にあっては約一、一七万円、昭O和三十年度は貯金約八、000万円、貸付金約六、六五(中箕輪信用販売購買利用組合分〉王土|貯金也竺主大正10年29,899円27,761円昭和元年120,227I53,741グ5年139,361I125,99510年121,434I107,095


<< | < | > | >>