箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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拘、被告郡長ハ連合町村会ヲ開キテ之ヲ評議セシメシノミナラス、自カラ保管者ノ位置ニ立ッテ進退スルノ果断ヲ施為シ、敢テ株主ノ株金所有権ノ践踊ヲ意トセス連合町村会ノ権外ニ渉リ又郡長ノ職権外ニ出ルヲ顧ミサル不当ノ処置ヲ行フカ故ニ、設ニ此訴訟ヲ提起シ救正ヲ仰クノ止ヲ得サルニ至リシ所以ニ侯右之事実ハ左ノ数証ヲ以テ証明セントス、其写如左別紙ノ通リ該開産社分配財産ハ村有若グハ郡有財産トシ連合町村会ヲ経又ハ郡会ノ開後持ツヘキモノニアラサルヲ以テ之ヲ訂正シ、更ニ株主ノ評議ニ付スルヲ得セシムベキ様、右数項ノ訳ナルカ故一一被告人ヲ呼出サレ御申渡シ相成下サレ且訴訟入費ヲ担当ス可キ旨御裁判相成旨此段奉願候也明治二十二年三月十三日斉藤宛この訴状に対して、相手方被告人、郡長金井清志の訴状反対の答弁書の要旨は次の通りである。開産社分配財産処置訂正請求ノ訴-一対スル答弁被告人岡県同国上伊那郡長金井清志右代理岡県同国同郡書記三石寿一郎開産社の創立は明治七年旧筑摩県が凶荒予備、産業拡張の目的で開産社条例を発布し、管内一般より金穀を徴収し、政府の保護金、官吏の出金等により組織設立し、業務規定、役員の任免等は県庁の管掌であり、金穀徴収は租税同様に扱われてきた。明治十三年に長野県庁は管掌を解き民業として放任したので、明治十四年、南北安曇、東、西筑摩、上、下伊那、諏訪郡人民は委員を公選して、人民初めての開産社となるも県庁、郡役所において保護監督して委員選挙のこと、開産社と人民との交渉については、すべて郡役所がこれに当り、七郡共有の取扱いであるのに委員会に紛議がおこった。


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