箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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出資積米高五石四斗七合七勺五44代価弐拾円八拾壱銭積金額北小河内耕地旧高七百士宮石四斗六升弐勺出資積米高七石壱升四合六勺弐え代価弐拾六円九拾九銭積金額合計旧高弐千九百七拾弐石八斗七升壱合弐勺出資積米高弐拾九石七斗弐升八合七勺代価壱百拾四円四拾銭積金額この地方が当時浴した恩恵としては、製糸業に対する融資があるが、これを契機として養蚕の振興につながり、地方産業振興開発を目的とした趣旨には一応適合したわけである。明治十四年にデフレの進行に伴なって、同社貸付金の回収が円滑を欠き、経営は困難を極めた。その上各地に銀行が設立されて、開産社設立の意義がうすれてきた。明治二十一年合議により解散すること与なり、すっかり清算し、残りを当初の積穀高により各郡に分配し、産業開発振興の目的もその役割を果したのである。開産社解散にともない、清算金の分配について各町村の意見が別れる所となり、郡長金井清志が分配方法を各町村に諮問した所、東箕輪村ではこれに答えて、次の通り伺書を提出している。伺書元筑摩郡、安曇、諏訪、伊那四郡中ノ人民共同シテ、東筑摩郡北深志-昌広置シタル、我開産社ナルモノ久シグ有名無実ノ姿ニ有之侯処、株主一同其不利ヲ申立、遂-一解廃ノ運ニ相成己-一本社ノ解廃セシ上ハ、其株金処分方法ヲ立ザルベカラストノ御主意ニテ閣下ヨリ先般吾村内江御諮問相成候処、我村内ノ株主一同会議ヲ開キ


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