箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第11章金融第十一章第一節金高虫金融の変遷貨幣制度の改革廷に江戸時代の貨幣としては、幕府が発行した、金、銀、銭であって具体的には、大判、小判(両、分、朱)や丁銀、それに寛永銭や天保銭、文久銭などであった。これらは一定の基準があって、それぞれ換算されたが、一般ではその時々の時価相場によって換算された。明L治二年時では金一両1銀約百匁銭約十貫文が基準であった。御一新の世となって、維新政府は、新しい体制のもとに経済を進めるのに、貨幣制度の改革と全国的な貨幣の統一が目前の大事業であった。当時流通していたものは、江戸幕府時代のものがそのまま存続し、加えて外国との貿易により流入の外国貨幣と、旧各藩発行の藩札等である。そこで新政府は、とりあえず期限付の金札(太政官札)を十三年の期限をつけ、明治元年に発行した。この時発行されたものは、十両、五両、一両及び一朱、一分の五種類である。続いて明治二年二月造幣局を設置した。この年九月には、先に発行した太政官の高額の不便を補うために、小紙幣の「民部省札」を発行した。この頃、新しい二分金が伊那地方にはいり、経済界が混乱した。新政府は、これら貨幣制度の改革にも積極的で、同年九月には太政官札と旧貨幣との引替えのお触れを出し、またその年の十二月には、府藩県の紙幣製造を禁止している。


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