箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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地元松島商人の熱意はさかんで、各商庖は自家の戸板を持出して、遠来の露庖商人に貸与えたり、寒気をしのぐために、炭火をおこして出すなど、大いに援助した。多くの露庖商人は十二月二十七日の辰野の暮市をすませ、引続いて二十八日、松島と、それら商人の活躍の場、一かせぎ場であった。商人の多くは、辰野、伊那の近い所より遠くは松本、木曾などからも来て、寒風吹きすさび、午後にで大正末年の頃は現在の箕輪町役場の付近(仲町)が主でそれより南、通町にかけて点在し、昭和五、六年頃にもなると、雪の舞う中を大きな声を上げて、客を呼んだ。商品としては、ほうき、呉服、反物、さては陶器(瀬戸物〉、鈴などの食物、たらい、こねばちなどのうつわとさまざまで、碁の五目ならべなどもあり、県道〈今の国道一五三号線)の両側には、そうした露広が二O以上も、ならぶという賑かさであった。松島通町の昭和初年の幕市現在の通町第10章工業・商業松島仲町の昭和初年の幕:市二十八日には朝から雪ということもあったが、多くは昼過ぎてから小雪がちらつき、夕方になると雪もふりつもるというようなことが多く、露庖商人も、雪に,4A追われて、商品を値引いて売る(たたき売り〉ようなことも多かった。こうしたにぎやかな暮市も、昭和十年頃からだんだんとさびれ、十二年日支事変のはじまる頃を境に、急速になくなってしまった。木下の飴市松島の暮市と同じ日十二月二十八日に現在の松島市γ町


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