箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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う。其鴛寵・鉄舶来物左官手間賃、一日食共金拾六銭七厘白雇人足賃一日食共金拾三銭五厘これ等の物価を見て総体的に農産物が高く、農業中心の経済の一端をうかがうことができる。粗寵角三本五ノ入子一組金七拾二銭五厘-一貫目ニ付上金六拾五銭六厘二毛五糸黒羅紗幅一尺金六拾八銭黒絹呉臣服幅一尺金九銭六厘八毛緋紫メリンス幅一尺金拾銭五厘金巾綿一釜目方一貫目上金二円八拾七銭大工手間賃一日食共、金拾五銭生糸については「相場相決まり申さず侯」とあってその値段が、その時により変動していたことがわかる。石炭油とあるは、現在の石油のことで、当時長野市近辺から出ていたというからそれをさしているものであろ舶来物として一石金二一円五八銭と記されているから、輸入された石油も出まわっていたものと想像される。ー、さらに、舶来物と別記して黒ラシャやメリヤス等の呉服生地も売買されていたことがわかる。手間賃として大工、左官、日雇人夫などの金額があげられているが、ひどく低いのに驚かされる。一日食共とあるは、食事付のことであろう。(この辺ではこっちめしという〉米価等と比較して如何に安いものであったかは、大工一日働いて米二升‘ぐらいしか買えなかったことから類推できる。営業願鑑札明治十年頃に於て商業として届出で営業するようになり、鑑札等が下附されるようになったり、税金を納付するようになった。この之之について当時まだふなれのまま、疑点を生じこれを御伺い室聞を出してたづねている。E五I


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