箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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大正の工業上伊那における工場工業は製糸工業からはじまった。箕輪町でも明治初年に物産絹糸一二貫とあるOOJOOから、極めて小規模ではあったが工場の基礎らしいものがあった。これが順次発展して大正年聞の製糸工場になり、また一方では清酒などを中心とした醸造業となっている。明治年間の工場創業数年平均約二O工場(全長野県〉が大正年間となると工場創業数平均八七工場(長野県)と飛躍的に増加している。上伊那にあっては製糸の外に繊維工業の絹織物等の機織も行われるようになり、また醸造業も漸増し、凍豆腐、木製品などの工場も開設されている。?これら工場の著しい増加は第一次大戦の影響を見逃す、ことはできない。勿論箕輪町でも各種工場が新設されて今日の工業の隆盛の基盤がこの大正年代において作られている。大正年代の箕輪町工業は、製糸業の股盛と水車利用の精米業がまだまださかんであ,ったこと、さらに新しい工業としての凍豆腐生産のはじまったことなどがあげられよう。大正十年の中箕輪村の工場機械等の記録は次のようであづて、製糸工場の糸繰釜と揚枠、水車における携臼などが、圧倒的に多い。'L'倉庫、二一は、特別大きなものでなくともあげたであろう。綿打機械一は木下の一桝でやった。大正十年(中箕輪村の工場機械〉糸繰釜二揚枠八六挽臼五九金携'臼庫00一七五E


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