箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第10章工業・商業第十章第一節工業・商業明治の工業水車明治初年頃の精米業は水車である。これについての、記録が木下及び上古田にある。これを見ると水車については総て届出をして仕事をしなければならなかった。木下では新規、六輔として願出ている。自家用と賃ひき用とに区別し、自家用の分については夏中相休とある。これは上古田とても同様であった。この水車は箕輪町内各部落ともにあり、昭和初年まではその数も多く見られたが、現在では全く見られない。そのうちのひとつを見ると、荻原三十郎、新規一一朝とあり、円経壱丈、臼一斗張三っとある。従って水車の水をうけてまわるのが、円の直径一丈(約三メートル)であり、米つき臼として一斗を入れられる物が三つ用意してあったということである。このような水車が、木下としては新規六輔であり、荻原三十郎の外小松徳助、大平乾宗、城取新四郎、中川道禎、荻原国蔵の人々であった。この外に青木平蔵、唐沢伝八郎の両人は稼人として届出ている。これ等を見ると水車の円経一丈のものが最も大きく六尺(約二メートル弱〉のものが小さい。同じく上古田のものは、水車職として十名が届出ている。何れも「用水不便一一付夏中相休み」とあるが、届出はこのようであっても、自家用、若しくは近隣の家のものを、ついてやる程度で、広く営業用では、なかった。また一面営業税のがれの面もあったと思われる。工業


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