箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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計三四名名誉会員池上文彦会員沢九六人大五中原一五人松島一五会員総数計五六人O人人OO木八乙下女一五人下古田一二五人富田八六人人上古田四四人出明治二十九年に明音寺を会場にして東京農事試験場技手の安藤広太郎を招いて普通農事改良に関する講話会を聞いたり、また村主催で第三回の上伊那郡有志の農産物品評会を催している。この品評会は十一月九日より十四日まで行い五二名が観覧したと記録されている。また明治三十六年二月には中箕輪尋常小学校で農事臨時大会を聞いている。この時上伊那郡長平林氏、伊那区裁判所判事阿川氏、郡農会幹事長福沢氏、長野県々属金井氏、郡視学勅使河原氏等が演説を行い、聴衆約二百余名とあり、その盛会ぶりをものがたつている。明治コ一十七年になって「産業督励ニ関スル規程」を作り、農業振興についての方策を具体化した。このころ村役場内に農会があり、役場と農会が連名で通知を出すことも、決して珍しくはなかった。従って農事に関しては農会で施策指導することが殆どであった。この産業督励規程に続いて「中箕輪農会第一国立毛稲作品評会審査例規」を印刷してあって、村役場と農会との密接さを窺わせる。「産業督励に関する規程」の内容は、米麦の種子の塩水撰のこと、苗代の短冊形にすること等、農事の細部にわたっての指導がこまごまと記されている。またこれらのことを指導督励するために、各区督励委員を選定するよう定めている。また「中箕輪村農会第一回立毛稲作品評会審査例規」によると、苗代審査と本田審査と子実審査に分け、それぞれ細かにその観点を示している。また商代審査は五月二十八日より六月八日まで、本田審査は第一期八月十五


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