箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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なったので、昭和三十三年には伊那工場〈元長田製糸)、昭和三十六年には中箕輪工場を閉鎖し、〈繭倉庫、乾繭機トを備えて生産を集中し、一工場のみで上伊那地区の供繭の大部分を処理することになったのである。(後略)は残す〉赤穂合同工場に二釜どり自動繰糸機一二セツOOとあるのをみると、前記創立六十週年記念誌にある、昭和四年から昭和十三年までの十年間は中箕輪産業組合の販売部が竜水社の傘下にありながら中竜館で独自の経営を行ない、昭和十四年からは中電館は閉鎖し、竜水社中箕輪工場として合同繰糸に移行していったのである。中竜館の規模は前掲記念誌の記事によって知られるが平面図(見取図〉に示すと次頁の通りである。なお中竜館の従業員構成は、選繭一二、煮繭ニ、繭配り二、繰糸一00、再繰八、汽鐘二、見番一、踊よせて炊事一、現業長一、で繭の入荷時には乾燥に一人以上の人々が三交替で処理をした。Oこの他に信用、購買、利用三部門の事業処理の仕事をする職員もいたので常時は一三人位の人々がいたようOである。りである。中竜館が処理した繭の量、生産された生糸の量等については資料が見当らないが、その販売高をみると次の通昭和//////ィアグ//グ四年五年六年七年八年九年十年十一年O九八、四七円一三四、五二八。一一一九、00一タ一六一、四九00OOO一三、四四七。一三、二七。O一四九、一六。一四八、八一一一。


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