箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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の減少振りが目立つ。掃立箱数O中箕輪と箕輪では、三十年の後半、掃立戸数の減少にもかかわらず、掃立量は逆に上向いているが、東箕輪はO急激に下向している。収繭量三地区とも産繭量は上昇しており、三十年代後半における中箕輪の上昇が目立つ。また、東箕輪は他の二地区に比べ二十八年に収繭量を増し、以後も安定して高い収繭率を保ったが、昭和二十一年の水準にまでは高まらなOかった。桑園面積中箕輪、箕輪が一時的に二十七年の面積を回復または少し上廻りながら、比較的緩慢に減少しているのに対Oし、東箕輪では、減少の度合が急速である。二戸当り平均収繭量コ一地区とも年を追って順調に上昇しているが、特に東箕輪の上昇が目立つ。掃立戸数、掃立量の著しい減少にもかかわらず、高い収繭量を保ったのは、この高い平均収繭があったからである。二戸当り平均桑園面積中箕輪、東箕輪が、多少上下しながら、二十七年の面積を維持したのに対して、箕輪地区の面積減がやや目立つ。しかし、二十七年以降の十五年間は、全体的に平均桑園面積はさして変らず、つまり町の養蚕規模には余り変動がなかったといえる。J要するに、昭和二十七四十年の十五年間における養蚕業は、養蚕家数も桑園も徐々に減少したが、二戸当りの収繭量の急増により、総収繭量は増加の線を辿った。その原因は、別掲の資料からみて、桑の反当収量の増加が主であると考えて間違いない。O


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