箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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養鱒池近頃では水田養鰹は殆どなくなった。これは西天竜そのものが汚染されたこと、また養鯉等によらなくとも動物性蛋白を豊富に入手できることなどからである。養鱒箕輪町の養鱒は上伊那地方でも早い昭和十六年木下駅東の地に笠原昌之進、岡村覚氏によってはじめられた。この地は豊富な湧水があるためわさび畑となっていたものであるが、明科水産指導所などの指導もあり、ニジマスの卵よりの養殖をはじめた。終戦後漸く本格化して地方版売より、アメリカへの輸出を行った。最盛期の昭和三十五年頃には出荷額も一万三千貫にも達したが、現在では県内消費を主として八千貫くらいの出荷である。飼育池の大きさ八百坪ほどで、最近では地下水の流量がずっと少なくなって、水の確保のため電気でポンプアップをしている。養殖をはじめた頃は、飼料として販売されておらず、単一一屯水社松島工場より踊を買入れたり、農協と特約して小麦を買ったりして、それを粉砕配合して飼料を作るなど苦労したようである。OOO一五戸、総収繭量四五余トン、一戸平均の収入は八円に達した。これを同年の一戸平均米作収入二二OO


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