箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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等を充分に参酌することとし、公平徳義を重んずるということをうたった。こうして日向入会山分割整理について大すじの合意ができ、分割することが望ましいという考えから決議はなされたものの、その後具体的な作業は進まないままに時日は経過していった。続いて日影入会山についての分割整理のことを関係部落の長岡、南真志野、北真志野、南小河内、北小河内、福与、有賀、下金子、上野、文出、小川の各総代と、管理者たる東箕輪村長、湖南村長、中洲村長、豊田村長、箕輪村長立会いのもとで「:::右土地ヲ実測シ左ノ方法ニ依り各部落-一分割スルコト」と決議をした。大正十一年七月のことであって、その面積は次のようである。一、原野反別千四百七十八町六反七畝歩一、回反別四反六畝十歩一、畑反別七反九畝十一歩これらの土地を地元は往昔よりの功労あるによって、相当土地を取得し、その他は、・各共有部落戸数権利分率、・土地台帳記載部落割、・反別地価割によって分割することをきめた。この決議の時、参加しなかった片倉、大熊、後山、八ツ手、松島の各部落も旧来の慣行により、権利あると認め、その後分割についての総会をもって協議した。大正十年十二月の日向入分割整理の決議及び大正十一年七月の日影入の原野及び回、畑等についての分割整理の決議等は、関係部落の諒解のもとになされたが、さて、いよいよ実施の段階となると、何分にも広い原野のこと、また長い年月の慣行、習慣などがからんで、なかなかその作業が進まず、一年の歳月は流れた。こうした背景には関係各部落の利害がからみ、今までの経過から、より自部落を有利にという思惑もあり、しかも入会部落も多く、行政区もちがい、その話し合も容易でなかった。こうした事態から地元東箕輪村村長は、何時までもこれを放置するのは、入会山の荒廃を一層甚だしくするとの見地から、関係各部落に決議の再確認を求め、これによって日向入、日影入入会山の分割整理を積極的に進め


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