箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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大正四年四月五日上伊那郡長長井喜太夫は、関川書記、中村林業技手とともに日向、日影入を実地踏査し、両山の荒廃しているのを心配して、この山地を整備するには「①分割するか、②組合会を設置するか、この二途に依る外なく、各その権利歩合を決定せよ」と指示した。そこで関係部落総代は集合して協議し「該山整理ニ付テハ組合会ヲ設置シ、分割ハセザルコトニ協定シ署名シタ」郡長の指示を受けて協議した結果、組合会設置という方向で決定したのである。このようにして日向入分割整理のことは一旦決着がついたものと思われた。大正四年四月九日の部落協議会の記録を見ると、「諏訪入会一部ノ希望ナル分割問題ニ付テハ:::」とあり、この事につき協議した。結果は、その筋の人について鑑定の必要ありと、出京委員四名を選んで上京させている。はじめ上京の人員は四名ということであったが、大正四年四月二十日上京のため辰野駅に参集したのは、長岡の福沢彦六、伊藤銀次郎をはじめ、関係部落よりの総計十四名であった。これら上京した委員は、弁護士の大田(名不詳)、小川平官、さらに、矢部廉等を訪問し、その意見を聞いた。鑑定の結果は、小川弁護士の「入会山ノ性質ヲ主トスル原野ナルカ如ク認ムルニ依リ到底分割スヘカラサルモノ、由」というのであって、この趣の書面作成を依頼して四月二十八日晩辰野に帰っている。この二十日より二十八日にいたる問、上京した委員は、時には裁判所に検事を訪ね、その事情を説明したり、また東京地方裁判所判事の犬丸厳を自宅に訪問して、その見解を聞いたりしている。結果的には、小川弁護士の鑑定の結果を書類として依頼しているから、その時点では「分割しない」ということであった。その後大正九年十一月十五日諏訪郡湖南村南北真志野総代、及び長岡総代によって覚書を作って、日向入、日影入の荒れ果てることを心配して分割を進めることをきめている。これには旧来の慣行を尊重し互に相提携して


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