箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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総人口に対する農家人口比率も約一ほどOWMも多い。一方耕地面積は他地区より少ないが耕地率は高く、平垣部の多いことを表わしている。農業用機械のあゆみ明治初年から中頃にかけての農具は殆ど人力によるものが多く、田畑耕起に使う鍬、三本鍬、万能鍬等が主たるもので、これに回ごしらえに使う田下駄ゃ、八人前田植えの時の田植え綱等、極めて原始的なものが多かった。さらに収穫の時使う「せんばこき」や「ふるい」「唐箕」といったものから「うすひき」等があった。これらは何れも人力によるもので、家畜のカを使うとか、動力によるというようなことは殆どなかった。馬耕(馬にひかせて田畑を耕起する〉が使われはじめたのは明治三十年頃であり、この頃から馬の力を使つての田畑の耕作が順次とり入れられた。また田車を使つての代かきも、明治末期となるととり入れられて、馬の力によって代かきを行うことによって作業の能率化が一層進められた。足踏み脱穀機の導入も大正年聞にはいって進められ、噴霧機その他手動等人力にたよるものではあったが機械力を農業の面にとり入れるといったことが行われた。農機具の変遷は特に戦後において大きな変化をした。いわゆる農業機械化である。戦後アメリカより新しい農業機械の導入がさかんに行われ、これが農作業の能率化となり、従来の仕事を極めて短時間で処理するようになっ・た。平鍬八


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