箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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この表より、昭和初年噴の経済界の変動ぶりを窺うことができる。また昭和四十三年以降四十六年頃まで総生産額は一七I一八億円となり、貨幣価値の変動とともに大きく増加している。また、農作物の種類では、莱が多いのが特徴といえる。粟は、現在では殆ど栽培していない。また近年と比較すると、種類の単純花が窺え、現在のような多様化の栽培は見られない。それだけ農業技術の未熟さも思われる。これを見て米の生産額が圧倒的に多いこと、また畜産が、近年米をしのいでいることと、米作中心の農業から脱皮している様子がよくわかる。昭和四十三年より四十六年までの農業生産額は上記のようである。農業従事人口の変遷ようやく明治の開化も進み、家業に勉励できる状態になり、人心も一応安定したとはいLながらも、町の各村々は、昔からの慣習もすてきれずに目ざめぬ人々もあるなかで、戸数の九余りの農家の生活はおちつかぬ不OWA安があった。その中でも駄馬によって賃銭稼をして生業を助ける男子、蚕を飼育してつむぎをして家計を助ける女子等の家はいい農家であった。その他には冬季の出稼するもの、あるいは他国に転出するものなど人口の流動はかなりあった。当時の就業状況は資料がなく不明ながら、明治十三年の中箕輪村の就業の状況でわかるが、八O%百三十六戸中ほぽ九が農業を主とするものである。


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