箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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大正七年十月、上伊那郡役所で西天竜水路開削期成同盟が結成され、事務所が郡役所に置かれた。そして翌八年五月から全地区の測量が行なわれ、九月に完了した。次いで、先に申請した西天竜耕地整理組合が県知事から認可され、十二月四日に創立総会を聞いて、組合長に郡長堀江忠也を選出した。総工費四三余万円という大事業であったが、補助申請に対し、取入口から松島まで徒歩で実地踏査をした赤O星知事は、幹線導入路工費の三に当る九二万二六四七円を、二十五カ年継続で補助する原案を提出、県議会OMも満場一致でこれを可決した。こうして、天保以来の宿顕である西天竜開発事業は、一世紀に近い年月を経た大正十一年十一月にようやく起工式を挙げる運びとなった。それから更に六年、昭和三年十月には、延々二六加におよぶ待望の幹線導水路が完成した。同年十一月八日には、竣工検査及び通水試験を行ない、水路の終末、小沢川放水階段溝手前で、酒々たる流水を前にして、劇的な通水式が挙行された。こうして取入口からは、二OO個(一個は毎秒一立方尺の水量)円を土地所有者が負担し、残り三五円を問、東西一聞の一反西天竜水路(昭和4年)OOOOの水が供給されることとなった。開国工事の概要導水路の完成したものは昭和三年だったが、開田は場所によっては昭和二年から県の監督設計のもとに始められていた。費用は反当一、円で、うち六五000県と国が助成した。①水田の形と開田方法水田区画は南北三歩割りを基準とし、幹線導水路から東に向かって一枚毎に二尺ぐらいずつ階段状に下げて


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