箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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上水道が完備した現在は、松島では以前程の重要性はなくなったが、中原では相変らず重要な川として利用されている。第二節西天竜は、岡谷市川岸で天竜川から揚水し、辰野町、箕輪町、南箕輪村を経て伊那市まで二六回余りを導水し、天竜川西岸段地に連なる畑、原野一、二を美固化した大用水路である。取入口に設けたロリソグダOOHLム、コンクリート水路、面積に応じた水量を正確に分配する合理的な配水槽等は、昭和初年における我が国農業土木史上画期的なもので、東京大学の教授や学生による学術視察もしばしば行なわれた。全国各県より農業団体の視察もあって、その名声が知れ渡っている。規模の大きさ、斬新的な工法、施設等において、全国的に注目の的となったこの用水は、どのように完成されたか、その経緯の概略は次の通りである。開発の目的開発前の西天竜地区は、広漠とした林野と桑畑であった。当時の関係地区町村の農家は、殆んど養蚕業を兼営していて、養蚕を主とする農家はあっても、穀物を専業とする農家は極めて少ない状態であった。これは、養蚕経済の有利であったことにも因るが、これ等町村の水田の多くは天竜川畔にある古田で、そこには最早拡張の余地がなかったことにより関係がある。一戸当りの水田耕作面積も少なく、農家でありながら食糧を自給できないものも少なからずあった。こんな有様だったから、西天竜地区の広漠たる原野に着目し、天竜川、またはその支流から揚水して、そこを水固化そうと企てた先人も多くいたわけである。明治以前には、次のような開発企画があった。西天古屋


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