箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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有候処、方今管内各所於虎列桂病発生シ、就中上水内郡ニハ本月十六日迄-一該病-一開催ルモノ一六五人、北佐久郡ハ七月二十一日ヨり本月十六日迄八人、下高井郡七月六日ヨリ本月十六日迄一一人ノ患者ヲ生ズルニ至ル其病勢ノ猛烈ナル推シテ知ルベシ、因テ充分消毒予防法等ハ施行セシメ置候得共、此際官民心ヲ一ニシテ上下相合シテカヲ裁ハセ、努力シテ予防ニ注意防遁ノ計画ヲ為サザルトキハ、イツ何時伝播スルヤモ難測候条、尚左ノ条項ヲ固守シ非命ノ死ヲ免ガルル様致スベシ。一、不熟ノ果物(桃、林檎、西瓜、甜瓜ノ類)及ピ不消化物(海老、蛸、天扶羅、昆布巻其他揚ケ物類)又ハ腐敗ニ近キモノハ飲食スベカラズ一、飲料水ハ一旦煮沸シタルノチ飲用スベシ一、家屋ハ勉メテ掃除シ空気ノ流通ヲ能クシ、衣服ハ時々洗濯着用スベシ一、周園ハ時々吸除シ旦同所ハ勿論下水等ニハ防臭薬ヲ撒布スベシO一、市街ニ於テ糞尿ヲ日中ニ運搬シ、其人家接近ノ田畑ニ撒布スベカラズて河川溝渠ニ於テ児童遊泳ヲナサシムベカラズ明治十九年八月十八日長野県知事木梨精一郎コνラが如何に恐しい伝染病であるかを患者数にて示し、感染予防を個人衛生の面で強調している。当時は治療といってもサルファ剤抗生物質や予防接種もなく、最も重要な治療である補液もなかった時代だから、躍れば死を免れない病気として恐れられた様子が文面ににじみ出ている。コレラの大流行により、衛生行政や衛生思想は向上したが、厳重な取り締りの衛生行政が強調される傾向が強く、人々は衛生ということを厭い恐ろしがり、その発達普及が妨げられる結果ともなったという。その他の伝染病明治二十六年以前については、資料がなくて不明だが、それ以後昭和二十年までの中箕輪村と箕輪村における伝染病の発生状況は表の通りである。東箕輪村については資料がないので不明だが、大正初期毎年のように大堰水系を用水とする家々に赤痢が多発し、その予防対策に苦慮したといわれている。


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