箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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この出征者を送った家を「出征家族の家」といい、かかげた「武運長久」ののぼりの一本を家の庭先に常時たてたま与にしておき、他は神社の庭にたてかけて、其の無事を祈った。戦場が拡大されるにつれて、此ののぼりの数がふえ、神社の庭には多数ののぼりが重ねられるようになった。然し更に後には、のぼりは、神社に集まらなくなり、武運長久の文字も色あせて、やがて布はちぎれてくるようになった。それは「防牒」という名のもとに、出征兵士を送ることがひそかに行われるようになったからであり、同時に物資不足のために長い白布を雨ざらしにする余裕も固には無くなったからである。十四師団三二動員で、届いたいわゆる召集令状は赤い紙に、入隊すべき部隊日時が明記されており、これを俗に「あかがみ」といった。このときのあかがみは、帰休兵の文字を予備役に、一等卒の文字を一等兵に訂正してある。これは既に明治時代に印刷されていたものであるう。写真のような袋に入れ警察の急使により役場に届けられたのである。赤紙の受領証のみ保存されているが、本人が持参する令状は入隊する部隊に提出されたので本文の方は勿論残っていない。此の赤紙を受けて、無条件にこれに従わなければならなかった。生活のすべてを捨てさせた。在郷軍人の掌握は益々強固になったので、役場の兵事係の責任は益々重くなった。受人二シ葬隊L'I1日ヲ喜1)入後戦十渡記J、九分シ氏名号ノノ下月二へジ木捺印傑二月託和昭七領受領持き参ノ6十四ス歩第五シ兵月七年ー日の・夕4P喜婁兵午雪す霊出譲ス入左氏Iるベシ集召充員ス印ー証シ


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