箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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シメ送別会ヲ催シ又ハ家庭ヲ訪問シ、各駅頭ニテ見送リタリ殊ニ村長、兵事主任、小学校長、分会長、青年会長ハ出発ノ都度辰野駅迄見送リ夕日五、地方行政上ニ及ボシタル事項特記スル事ナシ六、応召員ニ対スル繰替旅費ハ銭別等ノ贈与ヲ為シ旅費充分アリ繰替ノ要殆ドナシ此の時はこれを「第十四師団三二動員」といい、中箕輪村関係では二三名(箕輪村関係では一一名)の召集であった。動員の一般は警察より深夜内報のために、兵事主任は泊り込みで其の連絡を待つ。内報により村三役と、令状を個人に届ける。使(急使)を集めておく。到着したものを届ける。不在者には電報で知らせる。という手順であるが、召集令状を受け取る者はすべて在郷軍人であるため、在郷軍人名簿の確認掌握が毎日重要なことになってきた。一般人民士気旺盛とあるが、戦場に赴く者と赴かせる者の総てに緊迫感が満ちていたことは当然のことである。当初の応召出発は激励会を各所で行なった。「祝出征祈武運長久、氏名」ののぼりを自宅前に何本もたてた。召集を受けた者を、別に「出征者」といった。征途、征討、征伐の「征」であった。いよいよ出発の日には村人はこののぼりをかやさし日の丸の小旗を手にして列をなして、神社に参り、駅前に至ると、特別に仕立てた段上に出征者を登らせ、各代表が壮行の辞を述べて激励した。そして代表は辰野駅まで見送りに行った。


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