箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 329

年当時の七八名に比較しても二二名の減員となることになり、分団についてみても十五の分団が八分団となOOこの計画書によれば、町合併当時の団員一五四名、が約半数の五六名となり、この計画を立てた昭和三十六OO分回数と分団の区域苦手団の|圭一一呑」分団の区域第1分間|箕輪町のうち沢、大出、八乙女の部落の区域庁2ググ 下古田、上古田、富田、中曽根Pグ3 中原、松島グググ4グHHHHHH 木下ググ5グ三日町、福与ググ611Dア 長岡、南小河内、北小河内グ昭和47年12月25日決定の階級別定数人人人人人団長1116M班長66人副団長則夙長1人副捌夙長1人団員475人計565人本部長分団長副分団長昭和47年12月25日決定の組織別定数ゐ¥団角L分名団等称のI副分団長I班長I団員I計本部2810第1分団1287485グ2グ13127995グ3I!129210510グ4グ12577010グ5Iア1296375I!6I!21151021206計1366475560摘要L本向かれる班間部眠救護班長の定数とする。って約半数となり、機械についてみても質的に劣る老朽ポンプが新しいものに代り、機動性の高い自動車ポンプの増強等、機構改革の中の一つの目的とした消防力の増強が果される事になり、なお経費についても団員の少数精鋭主義は人件費を削減することができ、分団の整理統合は従来の分団が区を基盤とする区域に設定されていたものに対して、大局的、合理的な立場から勘案されたものであり、内面的な近代化の上に重要なものであり、物理的機動性の近代化とともに町消防団の充実、伸展を希求する町民のねがいと一致するものであった。しかしこのうち分団の整理統合は計画書どおりには進捗せず、これから約十年後の昭和四十七年十二月二十五日にできた整理統合は次のようなものであった。


<< | < | > | >>