箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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警防団南小河内警鐘櫓及屯所建設し七戸全焼、なお附近の山林に延焼して応援にかけつけた隣村の消防組にも山火事の消火につとめてもらうということがあり、東箕輪の消防組は必死の消火作業につとめたものである。なお設備等については当時何れの消防組も備えていた、さす文、鳶口、水桶、竜吐水、梯子、纏等はもちろんあったが、設立と同時に北小河内部では脚筒一台を購入して、当時としてはその高性能をほこっていたようである。支那事変が長期化して防空の必要に迫られた我が国は、全国的に防護団を組繊して防空演習等を行い国土防衛を強化するようになった。この防護団の構成員は消防組員である者、が多く組織は別であったが、当事者は同一の人々が多くわずらわしい事が多かった。時の政府は遂に昭和十四年一月二十四日に勅令第二号を以て警防団令Oを公布し、同年三月に同施行細則を公布した。これに基づいて従来の消防組は解散し警防団に改組された。これは前記防護団と、もとからの消防組とを統合して市町村単位に設置されたものである。この警防団については旧中箕輪村警防団沿革誌に記載されている事柄によって当時の推移をみることにする。この時の団長大槻文雄の一文を掲げて改組の情勢を明らかにすることとする。五


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