箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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消防・警察消防組が法律によって、設置されたのは、明治二十七年二月十日の勅令によるが、このとき内務省より消防組規則・同施行細則がでている。長野県では、明治二十八年二月十八日、長野県告示十八号により設置細則が出されているが、消防の費用は市町村負担であるためか、その設立数は少ない。このときできた法令では、消防組は、組頭一人の他に小頭若干人と消防手がおかれ、これが警察署長の命免により、消防組の指揮監督も警察署にゆだねられている。消防組設定時の器具についてみれば、木バシゴ・竜吐水・水桶・鳶口・刺又・脚筒〈県統計書〉が主なものであり、法律は、纏(マトイ)と旗により、組と部数を決めており、組織立てを行っているのである。器具をみれば、いぜんとして、破壊消防であることがわかる。纏(マトイ〉持ちが、火事場の華としてもてはやされ、サシコをまとった決死の火消し作業を、組織的に行うことを法制化したものであったが、それまでみられなかった纏(マトイ)を、組のシンボルとしたところに、明治の「ナショナリズム」の風をうかHAうことができよう。このとき「消防定員百五拾名と相定む」という、長野県庁の朱印の辞令をもらった木下消防組では、「組頭(堀口徳輔)一人・纏・大旗・高張、小頭二人他十二人・梯子・刺又・鳶口、小頭二人他四十一人・抑筒桶小頭四消防消組防


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