箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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大正・昭和期の村財政の問題大正・昭和の村財政は、大正七年八年で、教育への歳出犠のため、村の財政が四倍になり、以後、この形態Iが、戦前まで続くことになる。政府の意図とした官治行政はここで、安定をみたことになろう。しかし、膨脹した村財政の財源は、村税の戸数割と、営業の雑税である。ここで村の職業と営業税についてしるすと、あらゆる業種に税が次のようにかけられている。県税営業税雑税税課目O物品販売業三六人料理庖I家族雇人行商五売薬請売二四六売薬行商五一露庖販売商一職工一七写真業二O染物業六船一一人乗人力車二自用人力車一O揚枠一七飲食庖湯屋業理髪業不動産業遊芸師匠馬車四輪車荷積小車HM二尺以下炭焼糸操釜揚臼挽臼演劇場自転車生糸製造業畜犬OO傭人一O自動自転車金庫五八乳業金銭貸付代理業二九俳優問屋業,綿打機械独立漁業一OO製材丸鋸代書業一一旅宿業運送業法人建物二三 倉庫請負業印刷業遊芸稼人OO四四二四七台二五八四八釜五一一一一四一一四二七八一一一一一二六四二一二一一、回八一人一三一J一人倉庫業一人しかし、大正十年十月、当時の苦しい村の実状を見ると、製糸業の発展は長足の進歩があり、釜数の増加は近年にないものがあったが、糸況の不振によって憂慮しなければならない状態であり、商業の生存競争も劇甚をきわめる物価劇騰による影響を受けた。特に辰野・伊那町の中間にあって左右の圧迫を当然正面より受け、その影


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