箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 239

|予算額|実収入額||予算額|実収入額129.590340!1.12所得税割553~1.16149.02Q2 県税徴収交付金358.905358.905教育57511.69,540.8408,8第7款村税208.800第8款寄費費費附寄寄寄金附衛生57521.69,540.8408,8第1項附加税。208.8∞勧業3838.025,56021.82,21 地価割9.8052戸別割9.8054,970.1705,012.6404警備費寄附140.3003国税営業割140.3ω188.760190.270言十11,675.0やωω0501.52439.0104 県税営業割このような小学校授業料の村財政の占める比率の低い理由として、明治二十三年箕輪村歳入出決算表をみれば、授業料の実収入額が低い(決算額一二四円二銭、実収入額九九円六七銭〉(前表参照〉ことから、授業料未納者の問題が多かったことがあげられよう。明治二十三年の恐慌の影響が大きかったことなどを考えることができよう。歳入の主要部門を占める地価割・営業割・戸別割についてみれば、地価割は、地租の七分の一以内を賦課することが町村制で決められており、戸数割は、地方税戸数割・家屋割税の五倍八分八厘四毛の算出となり、明治二十三年の箕輪村では、平均戸数割の六倍六分六厘余、算出建坪割三倍三分三厘、戸数等級割の一二倍三分四余となっている。このような、平均戸数割・算出建坪割の算出方法Oは、連合戸長役場時代の算出形式の影響とみなすことができようから、戸別割・戸別等級割と、地価割との相関をみれば、別表の、第七款村税の明治二十八年I以来の変遷に注意すれば、地価割に変って戸数割の比率が多くなっていくことが注目できよう。即ち、明治二十八年の箕輪村歳入の地価割二七九円九八銭六厘、戸別割六六円一六銭一厘の比率は、表1の箕輪村歳入表(明治二十三・二十四年の地価・戸数割の比率の一対三に当るが、明治三十年代になり、地価に対し、戸別割が増加し、地価割は、戸別割の一割となり変ってゆく。即ち、村財政収入の過半が、村税・戸別割によっていることをしることができよう。このことは、別E表の中箕輪村の明治末期より大正にかけての推移をみても、確認できる。地価割への比重が下り、戸別割への比重が高まる。戸別割は、どのような構成となっているか。表前頁〉の中箕輪村の明治二


<< | < | > | >>