箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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中箕輪村では、温順・質朴な西山三部落にたいして、活溌にして鋭利な県道要衡の村民が滞納者への措置として明治二十四年九月、戸数割等級制を一挙に上げて、財政対策に取組んでいる。このようないわば大臣のお墨附きによる村の行政にたいして、各部落は、区条令をしき、区会議員を選出する財産区運営を行い、官治行政機構を漸次成立してゆくことになる。しかしながら、村税の焦点である教育費の要である学校設立が物議をかもしている段階では、大臣許可も効を奏せないことになる。明治二十二年十二月、木下耕地人民が、中箕輪村会中止の請願を上伊那郡役所へ提出し、却下されるや、明治二十六年十月分村体制をしいている(町村制と分村問題の項参照)このような趨勢に際して、中箕輪村会は、中箕輪尋常小学校新築のために、二、三OO円の村債を決しているが、このとき木下区民は、名誉職を辞職し、村税不納を決するにいたる。明治二十八年五月の村役場炎上は、このときであり、このときの出火について中箕輪村会議事録は、次のようにしるしている。中箕輪村会議事録明治二十八年五月十五日本村役場焼失ノ件ニ付、村会を松島区会議所-一開グ出席議員三八名略ス〉午後六時-二同着席開会ス議長、村長馬場禎三ヨリ此度ハ実ニ不麿災変ニテ木村役場ヲ焼失シ実ニ村民一同ユ対シテ申訳ナキ次第ナリ付テハ十分責任負ウ積リナレハ馬場禎三一身-一付十分御判断アリタシ付テハ当夜宿直書記原胤智ヨリ其責ヲ負ヒ辞職之義申出タルモ既ニ其当時ノ形跡外部ヨリ放火セラレタルモノト認ムルヲ以テ其ノ願意ヲ御ケタロコレカラ当職ハ制度ノ規定ニ従ヒ一身上ノ事ナレバ、此席ヲ退クベシ。宜シグ審議アリタシ助役唐沢海次モ亦同ジキ旨ヲ述ブ年長議員小原儀十郎議長席ニ就ク小原議長の下、村長は慰留され、再び職に就き、戸籍簿と土地台帳作成のため、各区より二|三名の調整者を選出し、委員として選出する。其の氏名は次の通りである。笠原三十郎・笠原鶴助・日岐竹吉・堀口虎之助・堀口徳輔・千葉田六郎・原五郎平・浦野勝次郎・日野信太


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