箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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同三月七日地理局長から県令宛見込照会内務大翰土方久元口同三月十五日福与三日町惣代から県令宛追願書提出上伊那郡東箕輪村OO向四月八日長野県庶務課から上伊那郡役所宛分村願本書其村内福与三日町両村ヲ限分離之処先般願出之通リ開届候O条此旨相違侯事明治十四年八月十日長野県を其筋へ経伺中に付福与三日町の追願書却下方取計度旨通牒O同五月一日福与三日町惣代から更に追願書提出O布達O同六月十四日鳥山県少書記官から地理局長桜井勉宛照会県下町村之内今般左ノ通分離相成侯条此旨布達候事明治十四年八日十日上伊那郡右東箕輪村ノ内両村ヲ限リ分離復旧回答。同八月二日書面伺之趣開届侯事内務卿松方正義代理三日町村福与村地方三新法下の村と村財政地方三新法下の村と村財政についてみることにする。明治十六年の東箕輪村村会成議案によれば、戸長役場経費四百三十六円六十八銭の内、地方税下渡金が百七拾七円十七銭三厘で、協議費が二百五十九円三十八銭となっている。このように、地方三新法の一つ地方税規則により徴収された地方税が、民費(協議費)と別わくで、村財政を構成していることがこの地方三新法の特色となろう。とくに協議費の収入は地価割と戸数割である。支出は、四百円九十銭が戸長役場経費で、戸長の年俸(七十円)筆生三人(百八円)小使一名(四十円)と、筆生・小使は戸長の半分の給与となっていることがわかる。庁費は、百二十一円三十銭で、その内訳は官令新誌と長野県布達月報などの他、当時の物価の推移などがよくわかり、時計直し代や、提灯代などがしるされてある。村の協議費支出として衛生費(二八円二十八銭〉と、教育費(七円五十銭)があげられる。衛生費と云っても、衛生委員の給与と、彼の郡役所出頭の旅費が主なもので、消耗品も筆墨類で、いわゆる衛生活動を行ったものではなく、布達業務がその内容であろう。教育費(七円五十銭)は、棄児養育料である。養育人への養育料と、衣服料


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