箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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(30年国勢調査つ(男){女)四は、終戦直後の出生ブIムのためと思われる。五の他第1編戸ロ(45年国勢調査〉(男〉一,(女)9007005003001000100300500700900総数の約七O%を占め、次が製造工業の約一四%、自由業人口は約四一であり、そのうち農業就業人口は就業M業の約三%と続いている。、このことから終戦直後にあっては産業の中心は農業であり、就業人口の実に七割が農業に従事しでいたことになる。農業に林業、水産業を含めた第一次産業従事者数は七二%を占め、産業構造はまだ戦前の形態を保って、近代化にはほど遠いことがうかがわれる。昭和三十年度、箕輪町発足の年の産業別就業人口は次頁のとおりである。この年度の総人口に対する就業人口は約三一%と昭和二十二年と比較すると著しい伸びを示している。これは終戦直後の混乱からぬけ出て、ょうよう落着いた社会の一端がのぞいている。また農業就業人口の割合は約六七%と昭和二十二年とくらべやや減少している。一方製造業の約一一%と二十二年より三%ほど減っている。まだまだ農業中心の構造であることがわかる。一方商業従事者は昭和二十二年の二%より三十年の約六%と増加し、商庖がふえ、またそれぞれの規模を拡大した様子がうかがわれる。また第一次産業就業者は約六七%と昭和二十二年にくらべ、約五%の減少を示している。そ出生率中箕輪村にあっての出生率は次のとおりである。昭和五年以前の資料の不備なのは残念であるが、全国的な傾向として、このくらいのもので、中箕輪村とても


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