箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第五節天気予報気象台や測候所も不十分、ラジオ、テレビの普及していない時代は、農作業、行事、旅行等おこなう時は、自分自身で天気を判断する必要に迫られることが多かったに違いない。先づ近い所から自分の体の調子で判断し、ひじろのけむり、ごはんのでき具合、ちゃわんのしめり具合、鳥のなき戸、雨戸の具合、草花のようす、雲のかたち等々あらゆる角度から観察し、既有経験、言い伝えなどをもとに綜合判断したわけである。現在は気象衛星を打ち上げ地球全体を外から観測し、広域の雲の様子の報告をセンターで受けている。北半球天気図から一ヶ月長期予報、週間天気予報をつくり明日の天気予報ができてくる。観測のための飛行機をとばデで高層観測をして、これらの観測結果を電子計算機にかけて、天気図が作られている。しかし天気図の線一本でも、感にたよる所もあると聞く。予報はあくまで予想であって、「全般に晴であるが、所によっては曇でしょう」とテレビで放送されることがある。この「所によっては」は、特殊な条件のせまい範囲を指す場合が多い。せまい地域の僅諺で「日が笠をかぶると雨」の適中率は六O%「雨がえるが鳴くと雨」は適中率は七OMMと記されている。こうなると天気予報のために、近代科学の粋を集めたコンピューターと並んでの、的中度は生きている。この大切な僅諺が箕輪に生きているわけである。あったと聞いている。「きのこを喰べるとき、なべのふたに測候所と書いておけばあたらない」と誠に失礼なる古但諺も、箕輪町にせ、観測船を海洋に浮べ、富士山頂にレーダーをすえて台風の目を追って記録をとらえている。レLヴインゾン


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