満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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はじめに~満州開拓とは何か~かつて、広大な異国の沃野に未来の希望を託し、故郷を離れ、大陸に渡って行った人達がいました。いわゆる満州(満蒙)開拓に行かれた人達です。満州(現在の中国東北地方など)への移民は、昭和六年の満州事変以後、国を挙げて行われるようになり、県や市町村、学校等も大いに力を注ぎました。長野県は全国で最も満州移民に力を注いだ県であり、その送出人数も全国一でした。開拓団や義勇軍として、私達の故郷からも多くの人達が満州へ渡っていきました。現在の箕輪町の前身である、中箕輪村・箕輪村・東箕輪村を含む、当時の上伊那北部十町村により構成された富貴原郷開拓団もその一つです。満州での移民生活は、昭和二十年八月のソ連軍の参戦や、日本の敗戦による関東軍の撤退、現地の混乱などにより一変し、以後苦難の連続となりました。特に、一般市民が戦闘に直面し犠牲となったことは、沖縄戦により市民が犠牲になったことと共に、先の戦争の中でも最も不幸であり、かつあってはならないことでした。そしてその中には、私達の故郷の方たちも大勢いたのです。しかし、現箕輪町に送出本部が置かれていた開拓団であるにも関わらず、町誌にもその記載は無く、知る人は多くありません。戦後六十八年が経過し、先の戦争に関する記憶も薄れがちになっている昨今ですが、戦争が全ての人類にとって最も不幸な出来事であり、決して起こしてはならないことであることに変わりはありません。そしてそのためには、過去の出来事を直視し、その反省の上にこれからの未来を生きていくことが必要であると思われます。私達の故郷から満州へ渡った富貴原郷開拓団の人達も、総員約三百名のうち、約三割となる約九十名の方が祖国の土を踏まずに亡くなり、無事帰還された方々も、大変な苦難を乗り越えて来られました。箕輪町郷土博物館では、開館四十周年を迎えるにあたり、知られざる郷土の開拓団について、その記憶を残すべく、冊子を作成しました。開拓団に参加した方々の記憶をたどりながら、故郷の先輩方が直面した満州開拓について、少しでも考えていただければ幸いです。満州開拓地そばの現地住民の家畜〔向山ひろ子氏提供〕


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