箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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町公民館館内に室を設けることになった。このための費用等敷地確保についての四百万円余は総て荻原広が寄付された。こうして敷地が確保されたので町議会、松島区その他を含め建築委員三十三名をきめて委員会が構成された。そして昭和三十五年七月第一回の建築委員会が聞かれ、新しい公民館についての構想から協議された。設計は飯田市の鈴木一級建築設計事務所に依頼し、続いて八月二十一日工事入札を行い飯島町辰巳屋木材が九百七十三万円にて落札、工事に着手した。十月一日上棟式のはこびとなり十二月十六日竣工検査、引取りを完了した。こうした出来上った公民館は建坪百五十五坪、二階を含め延三百一坪である。また出来上った公民館の前庭に荻原広の寄付による母子像が建てられた。これは辰野町出身瀬戸団治の作品である。さらにこれを中心に美しい庭園を三好園の協力によって作られた。内部施設、備品等の篤志寄付は二五名をかぞえ、また庭園への樹木寄付は一五名をかぞえ、舘内外ともに荻原広をはじめ、町民の善意によって、現在の公民館が完成された。この公民館の落成式とともに荻原広に対する紺授褒賞の伝達式、母子像の除幕式、あわせて荻原広の箕輪町名誉町民推戴式が十二月十八日竣工した公民館大会議室において行われた。招待者五百有余名まことに箕輪町の社会教育の中心としての発足は荻原広への感謝の式とともに、盛大に行なわれたのである。


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