箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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中箕輪五一九、八七七円西箕輪六二、三八五グ南箕輪六六、八四一グ箕輪四五、00七グ東箕輪四八、五七一グに分賦して歳入をしている。学校給食各校で各自持参のベんとうを廃して、学校給食を始め、学校薬剤師を置いたのは、昭和二十九年である。東箕輪小学校でいわゆる完全給食の申請したのは、昭和二十九年二月で、三月二十九日に承認を得て五月六日より実施している。味噌汁やおかずのみの給食と区別するため、主食のパシを加えることを完全給食と言った。PTA八月二十八日に東箕輪小学校は、大島小学校の給食室を視察している。学校給食会がつくられ、調理講習会、調理研究協議会には、各校の栄養士、調理土が参加して、学校給食が各小学校、中学校に定着した。箕輪町の教育戦後十年箕輪町の誕生は、各村単位であった教育を更に進展させた。町内の小学校、中学校、高等学校の施設設備の教育環境面の充足、学校関係職員による教育内容の改革等である。昭和三十年一月一日中箕輪町、東箕輪村、箕輪村が合併して、箕輪町が誕生した。このため西箕輪村と東箕輪村では、教育に関する件で前年より合併の準備が進められていた。中曾根の児童の中箕輪小学校転校の問題と東箕輪中学校生徒の箕輪中学校への転入とである。中曾根の児童の中箕輪小中学校への就学については、中箕輪教育委員会の書類によれば次のような経過によっ--'--ノ、五


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