箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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戦争末期に近い昭和十九年八月、東京から学童が集団で疎開して来た。学童集団疎開一覧表疎|校圏開L学民校地所在第桃学国上向霊都富人第八七七五九員次一八九人第四O九五五四七ノ、ム員次澄'L'明音養泰嶺頭無量普済長松受書寺寺寺院寺寺寺一松一木木南長所同日北小詞内在町島下下河内岡地上箕輪"W"W受国民東首学箕民校入戸寸以ー与校校村経"H営営一一西教審与面学備部授業考時間昭和二十年三月三日決戦教育措置要綱により、初等科を除き一年間授業停止となる。勤労動員、出征家族への勤労奉仕、挺身隊、忠霊殿奉仕、食糧増産、防空訓練、防空壕作業、農耕隊応援、開墾作業等が学校の日課となった。銃後防牒関係、暁天動員、英霊無言の凱旋等「決戦教育時代」にのみ通じたことばもあり、音楽用レコードを音楽用音盤にかえた。外国語の使用禁止であった。各小学校にあった運動会用のつな引き用の綱を、船舶曳行用として、供出し、児童のアルミ弁当箱は、航空機の材料として集め、いわゆる代用品を考えた。


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