箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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一名」授業料四銭O女男子子OOO生徒数一学級二六名J修業年数男子部女子部温習科各二ヶ年授業男子一、二、三の三か月綴方帳OOまた学校発朝五時二分、羽広まで二回、伊那小屋まで二O登山が小学校にとり入られて、一年程後ではあるが、気O女男子子二五銭尋六卒業者四五年O八名名象観測網も技術も現在ほどに発達しておらず、殊に台風予報などできがたい状況下の登山であった。雨具も登山用の「ゴザ」程度のもので、ビニール製品など思いもよらない時代であった。回、計四回の休憩で三六キロを十二時間の行軍で疲労の上に、雨にぬれた体は、索、さの為に絶命したと考えられる尋常科の生徒の作文があり上掲のものはその一例である。中箕輪農工補修学校明治四十四年の農工補習学校の様子は次のとおりである。女一二、一、二、三の四か月


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