箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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木下尋常小学校義務教育の延長は児童数の激増となり、校舎建築の必要に迫られるのは当然である。通学距離の問題から、位置が問題となり、それは相互の争いに進展した。争いは学校の位置問題であるが、必級学|年学戸~女言十ロ|学令児(1)学級(2)学級(3)学級計正1学年2341127202434815457037叫1293戸,133戸1,565人[6,502人[348人1,376人就学582名43%此の表に見られる中箕輪村の範囲では学令児童数に対して就学児童数は43パーセシトである第四節小学校令の中改正改正条文第一八条に「尋常小学校ノ修業年限ハ六ヶ年トス高等小学校ノ修業年限ハ二ヶ年トス侭シ延長シテ一一一ヶ年ト為スコトヲ得」となっている。児童生徒の増加は校舎建築に、そしてそれは建築の位置に関係し、通学距離が問題となった。明治四十年は、小学校令の改正により義務教育を六年に延長し、各村は学校の大統合を始める年である。今まで四年で卒業していた児童が六年で卒業となるため、明治四十一年二月には、各学校共に四年生の親に対して、「五年生入学児童奨励ノ件」とした二か年延長の趣旨を知らせていた。中箕輪の場合は、統合して中箕輪尋高等小学校を作るための準備として、従来の学校のすべてを仮教室とし、第一仮教室より第六仮教室とした。仮教室の様子は次頁、表のとおりである。このように仮教室が作られる時に、中箕輪の村会は、中箕輪農業補習学校と木下補習学校を廃し、中箕輪農工学校設置の議決をしていた。この明治四十一年は校舎新築で争いの起きた年である。


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