箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第六編第一章教育学校教育学校の創設第一節明治初期学制の発布は従来の寺小屋から官立学校へ内容を順次変えて行った。最初に設立したのは儒教の影響を持った学校名であるが、続いて村名による学校名と移り、就学、教育内容、教師、学校運営などに、初めての制度を受け入れるための創意工夫の時代である。明治四年筑摩県をおき、学校令をしいた。時の永山盛輝権令は「学校創立諭告書」を布告して学校創立を進めた。この学制の頒布によって発足した国民教育も、江戸時代の、寺小屋教育の基盤が大きく影響を与えている。OO江戸末期の寺小屋は全国に約一五、六、現在の長野県(明治初期は長野県と筑摩県)に約一、三五O、上伊那に四三三あった。箕輪町には明治初期までに、次のような寺小屋があった。東箕輪一九


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