箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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報道第三節町内における新聞みのわ町を基盤として発行している新聞は「みのわ新聞」のみである。この新聞は次のような沿革を経て現在にいたっている。月曜を休刊日とし六頁立を原則として、辰野町の記事も一面をさいて報道している。箕輪町の町政経済その他、こまごまとしたことを記事として掲載しているので、町の様子を知る上に好都合であり、また小型新聞として、町民に親しまれている。みのわ新聞社沿革昭和二十八年三月伊北家庭新聞社として旬刊で「伊北家庭新聞」四百部を中箕輪町に配布した。昭和二十九年「みのわ家庭新聞」と改題、日刊となる。昭和三十年四月箕輪町合併を期に「みのわ町民新聞」と改題、箕輪町全域に二部配布昭和三十二年四月「みのわ新聞」と改題OOOOO現在箕輪町一円に約三二部を配布している。第一次みのわ新聞昭和二十三年七月、大野勘一を社主して誕生し、記者として永岡、樋代二氏が中箕輪、箕輪、東箕輪、南箕輪、西箕輪の各町村を取材地域として、週刊紙として発足した。これはこの形で二十五年ころまで継続し、その後社主の東京転出に伴い、原昌雄、中島覚雄両氏の肩入れで「みのわ朝日新聞」と改題して、永岡記者を主幹として週一回発行となり、昭和三十七年ころまで続き、のちに「伊那夕刊」と合併して、同紙みのわ版として今日に至っている。


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